オエッのひと
- koimoiwao
- 2015年4月25日
- 読了時間: 2分
憂うつな色というのがある。生活の中に点在する色でもある。 たとえば街の拡張にともなってふたをされてしまった河川など、もう下水扱いされている。
見たことはないけれど、いつの間にかひとの足元の下に暗渠されて憂うつに沈んでいるのと
思うとやるせない。
そのやるせなさが、存在感とともに、家庭で異彩を放っているのがなにを隠そう「ビール瓶」
ではないか。 コップにそそがれたビールは美しい。
その液体が流れでてくる容器に目を移すと、そそぎ口からとたんに日々なじまない色合いとなり、
まるで「憂いに満ちた」山中潜伏の落武者、といっていいくらいだ。
ビール瓶のささやきがあるなら 「見なかったことにして下さい」などど聞こえてきそうでもあり、足があったら山奥に隠れたい、
と身をよじっている。だからわたしはいつも、ふびんなビール瓶を見て見ぬふりをしている。
そのわたしが 「ああ、今オレはビール瓶になってるな」と自嘲するときがあります。
まず口腔内への金具挿入がいけない。進化したという治療器具の静かなモーター音は恐怖の一言
といってよく、静かに痛みを誘発してくるのは世の中の慣例としても正しくないのではないか。
いいトシのビール瓶から、 「あの、魔法かなんかで治りませんか」 なんて云われたら助手さんは微笑み返すしかないし、 「めんどくちゃいおじさんね」 と思われて一蹴されたに違いない。
喉が格段に委縮しているのも気になった。 舞台活動では声の張り、という事を強く意識して鍛練していたのは20年前に遡り
その後は稽古をとんとおろそかにして来たから、診療席ではすぐに 「オエッ」 となってしまった。
「あらあら、気を付けますからね」 そう助手さんは云い、手加減が伝わってくるにもかかわらず 「オエッ」 「あら」 「オエッ」 「ちょっと休みましょうね」 そう云うとカルテにメモをしている。
きっと彼女はサッと書きつけたのである。 「オエッ の人」
その瞬間、わたしは身を持ち崩したような寂寞感に包まれた。

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